京都府宇治市のマンションの解説

宇治橋、平等院鳳凰堂、源氏物語・宇治十帖、そして宇治茶のふるさと
 京都府宇治市は、京都府の南端に近く、京都盆地の東南部に位置し、京都市や大津市などと接する位置にある。総面積は67.54平方キロメートル。宇治市の地形は、大別して、東部の山間地帯、中央部の山麓丘陵地帯、西部の沖積低地の3つに区分でき、林野面積が市域の半分以上を占めている。

京都府・宇治市のマンション
 2016年に京都府宇治市で販売された新築マンションはゼロで、中古マンション相場価格は1143万円〜3854万円だった。
 1960年代前半から京阪神の住宅都市として注目され、市内各地で宅地造成が相次いで実施。これに伴って急激な人口増加がはじまり、1979年8月には15万人、1998年9月に19万人を超えた。
 2017年11月現在、宇治市の人口は、18万2949人。総世帯数は7万4345世帯。京都府内で、京都市に次ぐ人口の都市である。

平安時代より交通の要衝として発展、源氏物語「宇治十帖」の舞台
 宇治市域は、京都と奈良及び東国を結ぶ主要道が通過し、また急流の宇治川に日本最古の橋とされる宇治橋が、646年に架けられていたことにより、古くから交通の要衝として発展した。
 平安時代には摂関政治の成立にともない藤原氏の荘園、別業地となり、その遺構のひとつである世界遺産でもあり、1052年に建立した平等院鳳凰堂は、藤原時代を代表する建築物として現在でも、その全容をとどめている。

 国文学が隆盛した時代、宇治を舞台にした数々の文学・詩歌も生まれた。なかでも源氏物語の宇治十帖は、「橋姫」ではじまり「夢浮橋」で終わっていることでわかるように、紫式部にとって源氏物語の終章を著すうえで、霧にけむる宇治川がなくてはならない舞台装置であったのだ。

 貴族社会が次第に衰え武家社会が興隆し、宇治川先陣争いで歴史的にも有名な「宇治川の合戦」をはじめとした数多くの戰が、この地で勃発した。

室町時代より当地の重要な産業「宇治茶」が名声を博す
 また室町時代以降、宇治において重要な役割をはたしてきた茶業は、宇治茶の名声とともに繁栄し、江戸時代においては茶の総支配が代官を兼ね、幕府へ献上する茶は茶壺道中と称し、行列を整えて江戸へ向かったとされる。沿道の住民は大名行列と同じように、この行列を送迎したという。
 今日では京都府、奈良県、滋賀県、三重県で栽培された茶を京都府内の業者が加工・製茶したものが、宇治茶として地域団体登録商標に登録される。

 大政奉還により明治元年に京都府が置かれ、その後、幾度におよぶ行政区画の変更を経て、1951年(昭和26年)3月1日に市制を施行、人口約3万8000人の宇治市が誕生した。

 以降、宇治市は順調に発展し続け、1960年代から京阪神の住宅都市として注目を浴び、爆発的な人口増加がはじまる。1979年(昭和54年)8月には人口15万人を、1998年(平成10年)9月には人口19万人を突破した。
 市では現在、平成22年を計画期間とする「第4次総合計画」に基づいた施策・事業展開を進めており、南山城の中核都市として飛躍発展をめざしている。

 宇治市域の交通網としては、京滋バイパスや市の西部を南北に縦断する国道24号線、市の中心部をとおるJR奈良線、京阪電気鉄道、近畿日本鉄道があり、これらを中心として、バス路線や地方道が縦横にとおっている。

 また、宇治市と城陽市、宇治田原町、井手町の枠組みで合併の議論が2002年に開始され、合併協議会が設置された。協議会では前述4市町に加えて八幡市・京田辺市・久御山町という枠組みで協議が行なわれたが、交渉はまとまらず、2007年に協議会は解散したという経緯がある。


宇治市のマンションをもっと見る

連載コラム

特集

もっと見る