京都府京都市山科区のマンションの解説

天智天皇陵をはじめとする平安ロマンの郷は、いまや住宅都市
 山科区は、京都市東端に位置し、京の東の玄関口としての役割を担っている。西の境には東山連峰、北は大文字山、如意ケ獄、東は音羽山、牛尾山と三方を山なみに囲まれ、南で伏見区の醍醐地域に接する。

京都府・京都市山科区のマンション
 2016年に京都市山科区で販売された新築マンションは193戸。同区で昨年販売した新築マンションの価格相場は、3360万円〜3500万円で、中古マンション相場価格は1440万円〜3579万円だった。
 2017年11月現在、山科区の人口は、13万4723人。総世帯数は6万1116世帯である。面積は28.70平方キロメートルだ。

昭和の合併で京都市に編入、交通の要衝として急速に発展する
 山科区エリアは、1889年(明治22年)の町村制施行で安朱村ほか22カ村がすべて山科村となり、同じ年に京都市は上京区・下京区の二区制となった。1926年(大正15年)10月、山科村は宇治郡山科町となる。1931年(昭和6年)4月、宇治郡山科町から京都市東山区に編入され、1951年(昭和26年6月に東山区役所山科支所が開設された。
 1958年(昭和33年)に始まった名神高速道路の建設で、国道1号線との結節点に京都東インターチェンジが設けられ、交通の要衝として急速に発展し、山科地域は急激な人口増加となった。1976年(昭和51年)10月、東山区から旧山科地域を山科区として分区し、現在の山科区が誕生した。
 1997年(平成9年)の地下鉄東西線開業で、山科駅周辺は、ますます賑わいのある街として発展する。2016年、同区は区制40周年を迎えた。

 同区の北寄りを旧東海道が東西に走り、奈良方面への奈良街道が通じるなど、古くから交通の要衝だった。現在もJR東海道本線、東海道山陽新幹線、国道1号線、名神高速道路が区内を走っている。

かつての県境農村は、京都・大阪のベッドタウンに変貌する
 かつては、滋賀県との県境農村だったが、現在は京都市街地や大阪のベッドタウンとしての性格が強い。東側で滋賀県大津市と接するため大津との結びつきも強い。また、南側で伏見区醍醐エリアと接し、山科区と同一の生活圏や経済圏を形成している。山科区と醍醐地区との繋がりは、伏見区中心部と醍醐地区の繋がりよりも深いともいわれている。

 山科区域一帯は、平安時代の頃には、すでに、山城国宇治郡山科郷という名で呼ばれていたが、それ以前の縄文弥生時代から文化の足跡を刻んでいる。
 芝町遺跡や中臣遺跡で発掘された土器、石器類、万葉ロマンの世界をしのばせる鏡山・天智天皇陵、平安時代から存在し、数々の伝説を秘める有名古社寺、中世日本を揺り動かした中心地である山科本願寺跡、江戸時代の風景を思い起こさせる旧東海道の遺跡など、各時代の歴史遺産に恵まれたエリアでもある。

 明治以降、琵琶湖疎水の完成。東海道本線の開通、京阪京津線などが開通して大正以降に繊維・染色関係の工場が建つなど、京都郊外の工業住宅地として発展した。なかでも、1921年に西野地区に建設された日本絹布工場は規模が大きく、後に鐘紡に吸収合併されカネボウ山科工場として1970年まで現役として稼働していた。現在、工場は長浜に移転。跡地は山科団地となっている。

 1961年「清水焼団地協同組合」が設立され、1968年ごろより川田梅ヶ谷につくられた清水焼団地に、東山区の清水焼業者が数多く移転してきた。

 近年、山科駅前再開発整備事業の完了、東部山間埋立処分地「エコランド音羽の杜」の供用開始といったビッグプロジェクトが完了。山科地域体育館や山科総合福祉会館などが建設されるなど、都市機能が充実し、街は大きく変貌している。

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