京都府京都市上京区のマンションの解説

区内全域が埋め立てによる造成地で、計画的に建設した国際街区
 上京区は、京都11区を構成する行政区。京都市の中央部に位置し、東は鴨川(賀茂川)、西は紙屋川(天神川)によって左京区、北区、中京区に、北は鞍馬口通、南は丸太町通を隔てて北区、中京区に接している横長の行政区だ。京都府庁は上京区に建つ。同区の面積は7.03平方キロメートルである。
 平安京が置かれていたことから、区内は碁盤の目状に道路が整備され、南部には京都府庁や京都府警本部などが設けられ、行政の中心地でもある。

 現在の上京区は、一条通と堀川が交差することによって、大きく4つの地域に分割されている。東北エリアは中世以来武家屋敷や公家の下屋敷が多く、東南エリアは御所と公家屋敷を擁する行政地区だった。また、西ノ京や大将軍といった庶民の生活地域を持つ西南エリア、西陣と呼ばれる代表的な伝統産業が生きる西北地区と、4つの特徴あるエリアが形成されてきたのだ。
 また、上京区のもうひとつの特徴は、道路名や町名としての「辻子(図子)」(ずし)が多いこと。上京区のなかでも一条以北,智恵光院以東,烏丸以西に辻子の集中地域があり、京都市内約100例のうち実に50例が、このエリアに集中している。

京都府・京都市上京区のマンション
 2016年、京都府・京都市上京区で販売された新築マンションは101戸。同区で昨年販売した新築マンションの価格相場は、9590万円で、中古マンション相場価格は2795万円〜5887万円だった。
 2017年8月現在、京都市上京区の人口は、8万4923人。総世帯数は4万7402世帯である。

平安期から連綿とつづく歴史と伝統の街「かみぎょうく」
 京都市上京区の歴史は古く、平安時代末期から京都の町を南北に分け、上辺(かみわたり)、下辺(しもわたり)と表現されるようになった。それが中世になって二条通を境に、上町(かみのまち)、下町(しものまち)、または上京、下京と呼ばれるようになったといわれる。
 以降の京都上京区のなりたちは、日本史を紐解く必要がある。
 1968年(明治元年)に、上京、下京を上大組、下大組と称し、翌1969年に三条通を境に上京33番組、下京32番組となった。
 1879年(明治12年)の「郡区町村編成法」によって京都を2区に分けて上京区、下京区とされ、1929年(昭和4年)に上京区、下京区の2区から左京区、中京区、東山区が分区。1955年(昭和30年)に上京区から北区が分区となり、現在の上京区となった。

12の国宝、232の重要文化財、6カ所の史跡名所、歴史遺産の街
 同区には、京都御所、千本釈迦堂、相国寺、北野天満宮などの数多くの歴史遺産があり、12の国宝、232の重要文化財、6カ所の史跡名所が存在する。また、茶道界の家元三千家「表千家」「裏千家」「武者小路千家」がある。
 京都の産業を代表する「西陣織」は平安京の頃から宮中や公家、社寺、幕府等の庇護を受けて発展してきた文化財とも言える産業だ。京都らしい伝統ある文化が現在も引き継がれている行政区である。

 京都の近代化は、全国に先駆け学区制による小学校開設に着手。1869年(明治2年)には日本最初の近代的小学校・柳池校が、また1871年(明治4年)には堀川通竹屋町の旧所司代屋敷跡に日本初の府立中学校が開校し、英語,ドイツ語,フランス語などの外国語を専門に教える欧学舎も設立された。
 新島襄が同志社大学を設立したのも上京区だ。1875年(明治8年11月)、自らの借家(現在の新島会館)を仮校舎に「官許同志社英学校」を開校した。翌1976年(明治9年)に相国寺門前に新校舎が完成。1888年(明治21年)に「同志社大学設立の旨意」を発表。新島襄の高邁な思想と不屈の努力と多くの人々の協力によって同志社大学が設立されたのである。

 さらに1896年(明治29年)、東京大学に次ぐ第2の帝国大学が京都に設立されることになった。政府の決定を受けた京都府は,東大路の一条通の南側から近衛通にかけての土地(現在の教養学部所在地)を寄贈し,医科大学用地として現在の医学部と病院所在地も買収した。開設された京都帝大は、分科大学として理工科,法科,医科,文科の4科を持つ総合大学となった。当時、官吏養成の場であった東京帝大に対し、「政治にとらわれない自由な学問の場」が京都帝大のコンセプトであったとされる。

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