神奈川県座間市のマンションの解説

戦前の軍都は、戦後高度成長の波に乗って急成長した工業・住宅都市
 神奈川県座間市は、神奈川県のほぼ中央に位置し、東京から南西へ40km圏内、横浜から西へ約20kmの位置にある自治体だ。
 市域は中央部を南北に縦断する座間丘陵を境として東部には相模原台地が、西部には相模川に沿った沖積低地が広がり、起伏に富んだ地形で構成されたエリアだ。同市の総面積は17.58平方キロメートル。中心となる鉄道駅は小田急小田原線相武台前駅、座間駅だ。

神奈川県・座間市のマンション
 2016年、神奈川県座間市で販売された新築マンションは379戸。同市内の中古マンション相場価格は1419万円〜2605万円だった。
 座間市の2018年1月現在の人口は、12万9467人。総世帯数は5万7495世帯である。現在でも市の人口は緩やかな増加を続けている。

 座間地域は、明治維新の廃藩置県により神奈川県に所属。1889年(明治22年)の全国的な町村制施行により、座間入谷村・座間村・栗原村・新田宿村・四ツ谷村の5カ村が合併し「座間村」となった。

 大正から昭和初期に鉄道や電気など近代的なインフラ基盤が進み、1937年(昭和12年)には東京から現在のキャンプ座間である陸軍士官学校が移転する。その年の12月に町制を施行し、「座間町」となった。
 軍都の様相を色濃くする中で、1941年(昭和16年)に近隣の町村と合併し「相模原町」になる。終戦後に、分町を望む住民に推されて1948年(昭和23年)に新生「座間町」が誕生した。

高度経済成長期に企業誘致を積極化、同時に人口急増、都市化が進む
 1960年代から、国の高度経済成長策に呼応して企業誘致を積極化し、日産に代表される自動車産業を中心とした企業城下町として発展した。同時に、人口の急増・都市化が進み、1971年(昭和46年)11月、神奈川県で17番目の市として「座間市」が誕生した。
 冒頭で記したように東京から南西へ40km圏内、横浜から西へ約20km、交通至便な自治体としてベッドタウンとして発展した工業・住宅都市だ。

 現在、座間市面積の3.2%(約57万平方メートル)という広大な土地を占める米軍基地「キャンプ座間」は、街づくりを進めるうえで大きな障害となっている。
 これまで長年にわたり基地返還促進に取り組んできた結果、部分返還されているものの、市では今後とも引き続き、基地の整理、縮小、返還を基本姿勢として、国へ働きかけていくという。

 また、座間市民は、近隣の厚木基地の航空機騒音に長年悩まされてきた。なかでも1982年(昭和57年)から米空母艦載機によるNLP(夜間連続離着陸訓練)が行なわれ、航空機騒音は苛烈となった。
 1993年(平成5年)、艦載機離着陸訓練施設が硫黄島にできたことで、いくぶん騒音問題は緩和されたが、2017年からの「オスプレイ」の厚木基地配備を巡って「オスプレイ」の市街地・上空飛行が市民に不安を与えている。
 基地が所在することによる基地交付金や調整交付金、防衛施設周辺の環境整備として民生安定のための助成策や騒音防止策が講じられているものの、十分とはいえないのが現状だ。

人と自然が共生する首都圏有数の名水・湧水の街
 座間市は高度成長期から一貫して市民が利用する水道水を地下水で賄ってきた。現在でも85%を地下水で上水道を維持している。これは、座間市の自然環境のポテンシャルがいかに高いかを物語るものといえる。
 通常、地下水の豊富な地域にはすぐ近くに山塊が連なっていることが多い。座間市からも丹沢連山が遠望できるが、座間市の地下水の生成には、丹沢山地と直接的な関連性はない。

 座間市の地下水についての調査結果によると、座間丘陵や相模野台地に染み込んだ雨水が長い年月をかけて地下でろ過され、市内各所の湧水地から噴出していることが分かっている。つまり、地域で育まれた「自然の水」なのだ。調査では62カ所の湧水口が確認されており、市民の日常の利用に供する量を湧出している。10万人以上の規模の都市では、これはまさに稀有な例といえる。

 座間市では、この貴重な水資源を有効に活用しつつ保全するため、地下水の流れと湧水の仕組みを分かりやすく解説した「湧水ざまップ」や、座間市の環境のすべてを数値化した「環境の概況」などをはじめとするさまざまな印刷物の発行、さらにホームページなどを通じて市民の興味を喚起している。また、各種の助成制度等を拡充して市民のエコライフヘの関心を促進している。

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