東京都国分寺市のマンションの解説

■東京・国分寺市のマンション
 2015年、東京国分寺市で販売された新築マンションは293戸。同市で昨年販売した新築マンション相場価格は3870万円〜6710万円だった。同市内の中古マンション相場価格は3150万円~4350万円。
 国分寺市の2016年12月現在の人口は、12万0600人。総世帯数は5万8039世帯だ。国分寺市の総面積は11.46平方キロメートルである。

 国分寺市は東京都のほぼ中央に位置する自治体だ。東は小金井市、南は府中市と国立市、西は立川市、北は小平市に接している。東西約5.68キロメートル、南北約3.86キロメートルで、大部分は武蔵野段丘上のほぼ平坦地である。
 段丘の南端は急激に下降して国分寺崖線をなし立川段丘に連なる。この崖線のすぐ下を流れているのが野川だ。

 奈良時代の741年(天平13年)、現在の府中市にあった武蔵国府から、北方約2.5キロメートル、武蔵野台地を背にした平原部(現在の西元町)に東西約0.9キロメートル、南北約0.6キロメートルにわたって国分寺建立が開始。完成した武蔵国分寺は、諸国の国分寺のなかでも広大な敷地を有し、僧寺金堂は最大級の規模を誇った。

 国分寺は聖武天皇が741年(天平13年)、仏教による国家鎮護のため、当時の日本各国に建立を命じた寺院。国分僧寺と国分尼寺に分かれる。正式名称は国分僧寺が「金光明四天王護国之寺」、国分尼寺が「法華滅罪之寺」だ。大和の国(現在の奈良市)の東大寺、法華寺が、それぞれ総国分寺、総国分尼寺とされ、全国の国分寺と国分尼寺の総本山と位置づけられた。

 しかしながら、偉容を誇った武蔵国分寺も1333年(元弘3年)新田義貞が鎌倉に攻め上る途中に起きた戦いに巻き込まれ焼失。以後、国分寺・恋ヶ窪地域はしだいに農村集落へ変わっていった。

 1893年(明治26年)、国分寺村が東京府に編入され、翌年、国分寺〜東村山間に川越鉄道(現在の西武国分寺線)が開通。こうした交通機関の発達や関東大震災後の東京市民の郊外への進出などにより、人口も次第に増加する。

 国分寺が市制を施行したのは1964年。東京オリンピックを終えた直後の11月だ。東京都で11番目の市として誕生した。

 市内の西国分寺駅でJR中央線と武蔵野線が交差し、国分寺駅で西武電鉄の国分寺線と多摩湖線がJR中央線に接続し縦横に走り、国分寺駅は多摩地域の交通の要衝ともいえる。国分寺市は、首都近郊にあって武蔵野の面影を残す住宅都市として発達してきた。

 国分寺市は、市民の良好な生活環境を維持するために農地が果たしている役割が重要と考え、10年ほど前から「都市と農業が共生する まちづくりプラン」を策定し、地元農産物の地産地消を推進している。
 1992年から市民農業大学事業を開始。市民が農家から直接教えを受けるこの取り組みは、先進事例として注目を集めている。また、1996 年に援農ボランティアの育成もスタートしている。市民農業大学の卒業生は開始以来 600 人を超え、援農ボランティアにも毎年 100人近くが参加。国分寺農業を継続的に支援するマンパワーとして定着している。



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