東京都東村山市のマンションの解説

1960年代、大規模な集合住宅団地が建設されたこと発展した住宅都市
 東村山市は東京都の北西部、荒川から多摩川にかけて広がる武蔵野台地のほぼ中心部に位置している。東京都心から約30km圏に位置する。北西部分には武蔵野台地に島のように浮かんだ狭山丘陵がある。北は狭山丘陵と柳瀬川によって埼玉県所沢市に接しており、東から南東は清瀬市、東久留米市、南は小平市そして西は東大和市に接する。

東京都・東村山市のマンション
 2016年、東京都・東村山市で販売された新築マンションは355戸。同市で昨年販売した新築マンション相場価格は不明。同市内の中古マンション相場価格は1609万円〜4214万円。
 東村山市の2017年9月現在の人口は、14万8114人。総世帯数は7万69世帯だ。東村山市の総面積は17.14平方キロメートルである。

 1942年(昭和17年)に人口1万852人で町制を施行。都心との交通の便の良さから、公団住宅や都営住宅など大規模な集合住宅団地が建設されたことを契機に、1964年(昭和39年)4月に人口6万6012人、世帯数 1万9863 世帯をもって、東京都で13番目の市として市制を施行した。1960年代に入ると、恵まれた交通利便性を背景に、市外からの転入が進み、 1972年(昭和 47 年)に人口が10万人を突破した。

鉄道の利便性が高く評価されるベッドタウン
 東村山市域には西武鉄道の各線とJR武蔵野線が縦横に走り、市内には9駅が設置されている。
 2013年(平成25年)より西武新宿線東村山駅が特急停車駅となり、東村山駅から高田馬場駅まで最短約21分となった。また、西武池袋線を利用した場合は、秋津駅から池袋駅まで最短で約22分で結ばれている。
 幹線道路として市域中央で新青梅街道と府中街道が交差する。こうした交通の利便性が評価され、都心からのベッドタウンとして発展した。

 東村山市は、大化改新後に武蔵国府中に国府が置かれた頃、東村山市域を南北に貫いて上野国と武蔵国を結ぶ官道「東山道」が通り発展する。江戸時代になって、1654年(承応3年)には玉川上水が、翌1655年(承応4年)市域に野火止用水が開さくされ、享保年間以降一面の原野であった武蔵野の新田開発が進んだ。19世紀初頭、文化・文政のころは、多摩郡に属した南秋津村114戸、久米川村186戸、野口村136戸、廻り田村120戸、宅部村42戸、そして入間郡に属した大岱村は70戸で、江戸近郊の農村として幕末を迎える。
 明治中期、野口、廻り田、久米川、大岱の4カ村組合が誕生。その後、南秋津村を加えて東村山村が成立した。これが現在の東村山市の母体になっている。

都民の“水”の供給基地を擁する自治体
 現在、東村山市には、大きな企業や事業者が少なく、住宅都市として発展してきた。が、国や東京都の施設が多いなか、財政基盤が脆弱で市制施行以来、普通交付税の交付団体となっている。
 また、市の財政規模は、平成 23 年度決算で歳入が約 497 億円、歳出が約 481 億円。しかし、歳入に市税の占める割合が約4割を占めるも、経済情勢の悪化により、近年は市税収入が減少傾向にある。
 財政指標を近隣都市と比べると、同市の財政の健全性は高くはなく、老朽化する公共施設の改修や建替えの需要などが高まることを考慮すると、市が認めているとおり、さらに厳しい状況になることが懸念されている。

 新宿新都心開発によって閉鎖となった淀橋浄水場の代替施設として東村山浄水場が置かれ、都民の上水道水を供給する。

 また、多摩地域北東部の西東京市、小平市、東久留米市、清瀬市と協力して施設の相互利用、イベントの共同開催などを行なっている。通称「多摩六都」。「六都」とは西東京市合併前の田無、保谷を含めたものであるが、名称は合併後も継承されている。

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