東京都板橋区のマンションの解説

特徴が稀薄な特別区だが、若者が多く最先端工業と先進の医療機関が自慢
 板橋区は、東京23区の北西部に位置し、面積は32.22平方キロメートル(平成26年全国都道府県市区町村別面積調)だ。東京23区中で9番目の面積を持つ。平均海抜30m前後の武蔵野台地と、荒川の沖積低地で形成されている同区の地形は、おおむね北部が低地、南部が高台となっている。北の荒川、西の白子川で埼玉県に接する。

 鎌倉時代の軍記「延慶本平家物語」によると、1180年(治承4年)に挙兵した源頼朝が、「武蔵国豊島ノ上滝野川ノ板橋」に布陣と記されている。ここに地名としての「板橋」が初めて現れ、少なくとも鎌倉時代には「板橋」の地名があったことがわかる。

 地名としての「板橋」は、1889年(明治22年)の町村制実施によって町名として採用され、1932年(昭和7年)の東京市板橋区誕生に際して、区名となって現在に至る。

東京都・板橋区のマンション
 2016年に東京・板橋区で販売された新築マンションは1832戸。同区で昨年販売した新築マンション相場価格は4046万円〜5950万円だった。同区内の中古マンション相場価格は1567万円〜5929万円だ。

 2015年5月現在、板橋区の人口は、56万4362人、うち外国人は2万5457人だ。総世帯数は30万6865世帯である。15〜24歳の若者の構成比が高く、練馬区に次いでナンバー2。板橋区には意外に若者が多いのだ。東京の若者の分布は、15〜19歳が多い区では20〜24歳が少なく、逆に20〜24歳が多い区では15〜19歳は少ないという傾向がある。が、板橋区は15〜19歳が5位、20〜24歳が6位とバランスが取れているのが特徴だ。

板橋・区域のなりたち
 1603年(慶長8年)、徳川家康によって江戸幕府が開かれ、日本橋を起点とする五街道が整備された。そのうちのひとつ、中山道の1番目の宿場が「板橋(下板橋)」に置かれ、大江戸の出入り口として、また区域周辺の中心的な場として繁栄した。
 同時に、板橋宿の隣接地に加賀藩下屋敷ができた。また、同区エリア北部の赤塚・徳丸・志村は、大根などの野菜栽培が盛んな江戸の近郊農業が発展する。

 1873年(明治6年)、広大な加賀藩下屋敷跡に火薬製造所などの軍需施設が建設され、板橋は近代工業の街へと舵を切る。1885年(明治18年)、品川〜赤羽間で鉄道開通、当時品川を出た列車の途中駅は目黒駅、渋谷駅、新宿駅、目白駅、板橋駅、そして終着が赤羽駅だった
 1914年には東上鉄道(現在の東武東上線)が開通し、各駅の開業とともに、市街地が広がった。
 1932年(昭和7年)、東京府北豊島郡板橋町、上板橋村、志村、赤塚町、練馬町、上練馬村、中新井村、石神井村、大泉村が合併し、東京市に編入、板橋区が誕生した。
 戦後の1947年(昭和22年)に地方自治法が施行され板橋区は東京22特別区のひとつとなった。同年、旧・練馬町、上練馬村、中新井村、石神井村、大泉村のほぼ全域が練馬区として分区、ほぼ現在の区域となる。

1972年、一大住宅地「高島平」の誕生
 板橋区を有名にしたのが高島平団地。1972年から入居がはじまり、高島平二丁目の約3分の2、高島平三丁目の約2分の1の面積が高島平団地となった。ちなみに高島平二丁目が賃貸、高島平三丁目が分譲である。団地以外の高島平全体の一丁目から九丁目まで戸建て新興住宅地で、それまで一面の田んぼ地帯は、高島平団地のみで2万人以上、高島平全域で5万人の人口を抱える一大住宅地が出現した。

 区内には東京の三大商店街と言われている「ハッピーロード大山商店街」を有する。都営三田線・東武東上線の各駅を中心に商店街が形成されており、区内には約100の商店街がある。大型店は、都営三田線西台駅前のダイエー、東武東上線東武練馬駅前のサティ、志村三丁目駅前のサミット・トイザらス・コジマの複合店舗、東坂下のオリンピック、前野町のイズミヤとビバホーム、上板橋駅前のイトーヨーカ堂などがある。また、小豆沢でイトーヨーカドーを核テナントとし、ビバホームやユニクロなどが出店する「セブンタウン」が2010年(平成22年)に開店した。

 区内は住宅地が多いが、北部地区は大田区とならぶ東京で有数の工場地帯でもある。ただし、大田区の工場地帯とは大きく性格が異なり、中小企業がリードする大田区とは違い、板橋区は大規模工場が多い。このため、事業所数は9位だが、従業者数、製造品出荷額は大田区に次いで第2位。しかも1事業所当たりの従業者数や1事業所当たりの製造品出荷額は23区中トップとなる。
 事業内容をみると、圧倒的な総合力をもつ印刷業が占める。70年以上の伝統を持つ業界2位の凸版印刷板橋工場をはじめ、500カ所超の印刷事業所が区内にあるという。

先進の医療機関が集結する最先端工業都市
 板橋区は、大田区と並ぶ東京有数の工業集積地である。工場、研究所など製造現場の機能が集積されており、事業所数は23区中9位だが、従業者数、製造品出荷額は共に大田区に次いで第2位だ。

 同区で工業が発達したのは、明治時代に陸軍の火薬工場が始まりとされる。その火薬と並んで発達するのが、光学機器メーカー。旧ペンタックスやタニタなどの一流メーカーの拠点・本社がある。また、1920年代にエスビー食品がカレー粉の量産をスタートさせたのも同区内で、その後生産拠点は移転したが、跡地には、同社スパイスセンターとして本社が置かれている。

 板橋区を代表する業種は印刷業だ。70年以上の歴史を持つ凸版印刷板橋工場を筆頭に、区内には約550の印刷工場がある。その製造品出荷額は3100億円に上り23区中トップだ。
 印刷業は東京の地場産業であり、23区合計の製造品出荷額シェアは全国の2割を超える。まさに日本最大の印刷業が集積している。

 板橋区は大規模先進医療施設の集積地でもある。病院の病床数が23区中ナンバーワン。日本大学と帝京大学のふたつの大学附属病院、旧都立の豊島病院、東京都健康長寿医療センターなど大病院が多い。病院病床数は1万床近くあり、2位以下を大きく引き離す。

 冒頭で述べた、若者人口の多さと大規模工場群、先進医療施設の集積によって、板橋区勤労者の5割は、同区内で就業しているとされる。

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