東京都荒川区のマンションの解説

■東京・荒川区のマンション
 2015年に荒川区で販売された新築マンションは294戸だった。販売価格は4270万円〜7070万円。中古物件の相場は3950万円~5900万円である。

 荒川区の人口は、1960年(昭和35年)の国勢調査によると28万5000人をピークに減少し始めた。が、1970年代後半からは減少傾向が鈍化し、2000年以降は増加に転じた。2016年10月現在、荒川区の人口は、発表によると21万2765人。そのうち1万7510人は外国人居住者だ。総世帯数は11万2324世帯。

 荒川区は東京23区の東北部に位置しており、総面積は10.16平方キロメートル。東京23区で22番目の広さとなる。この面積は、いちばん広い面積を誇る大田区の6分の1だ。同区は東西に長く、隅田川が区の北東部を迂回して流れ、南千住、荒川、町屋、東尾久、西尾久、東日暮里、西日暮里の各地区に分けられる。

 毎年、日経BP社が実施する「全国自治体ランキング」で荒川区は、行政サービス部門においてトップクラスにランクされることが多い優良行政区だ。2008年度は情報化分野および教育分野、IT施策の充実度を比較した「e都市ランキング」で、全国1位の栄冠に輝いた。また同年、「子育て環境分野」でも全国2位となった。2015年度も「共働き子育てしやすい街ランキング」で全国1位となっている。

 荒川区は、大規模開発によるまちづくりが進むエリアがある一方、歴史と文化の香りが残るエリアもある街だ。
 日暮里地区は区内で最も古い歴史を持つ地域で、JR山手線沿いの高台や斜面には縄文・弥生時代の遺跡があり、江戸時代中期頃より「ひぐらしの里」と呼ばれてきた。風流を好む江戸の文人墨客が集まったことでも知られ、多くの文学碑が残されている。ある意味で、史跡文化財の宝庫なのだ。
 南千住地区は、江戸から日光に通じる日光道の最初の宿場として栄えた地域。徳川家康が架けた千住大橋、松尾芭蕉の句碑をはじめとする、当時活躍した文人の碑、大名屋敷跡、吉田松陰や橋本左内などが眠る回向院(小塚原刑場跡)など江戸時代の史跡が数多く残る。

 南千住は、再開発によって生まれ変わった近代的景観をもつエリアと、伝統的な趣を残したエリアだ。多彩なショッピングモールや「健康」がテーマの複合施設を擁する南千住駅東側地区や白鬚西地区は、新しい南千住の「顔」とも言える街といえる。
 荒川区で隅田川に密接する白鬚西地区の再開発事業は、街路や河川(約1キロメートルのスーパー堤防)の整備をはじめ、病院や消防施設、教育施設、さらには公園整備などをともなう大規模再開発だ。

 南千住駅西口では、「つくばエクスプレス」が開業し、再開発ビルの建設および西口駅前広場の整備が完成し駅前に新たな顔が誕生した。そのさらに西側には伝統的な町並みや商店街もしっかり残っている。

 また、日暮里駅前地区では、ひぐらしの里地区の市街地再開発事業が進む。2005年に全3地区のうち西地区が完成し、中央地区が2008年3月に完成。翌2009年に北地区が完成した。地区の低層部は、商業施設などで構成され、高層部は都市型住宅となっている。3本の再開発高層ビルが日暮里駅前の新しい象徴となった。

 2008年3月に新交通「日暮里・舎人ライナー」が開通。日暮里駅から舎人地区までのアクセスが向上。2010年に「成田スカイアクセス」が開通。もともと都心へのアクセスが良い日暮里地区の交通利便性は、さらにアップした。

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