東京都大田区のマンションの解説

■東京・大田区のマンション
 2015年、東京・大田区で販売された新築マンションは1696戸。同区で昨年販売した新築マンション相場価格は4400万円〜7250万円だった。同区内の中古マンション相場価格は3440万円~6620万円だ。

 大田区は東京23区のなかで最も面積が大きな区だ。1990年までは世田谷区が最大面積の区だったが90年代後期から始まった羽田空港滑走路の埋め立て工事で大きく面積を増やした結果だ。総面積59.46平方キロメートル、東京都の23区総面積のおよそ10分の1を占める。
 面積だけでなく、人口も多い。区の人口は1995年に63万6276人で底を打って以降、増加傾向にある。2016年9月現在、大田区の人口は71万6700人で、そのうち外国人は2万0966人。23区で第3位の人口となる。総世帯数は37万9369世帯だった。外国人の国籍は、中国、韓国(朝鮮)、フィリピンの順に多いのが特徴といえる。

 大田区は1947年(昭和22年)に旧「大森区」と「蒲田区」が合併して誕生した。区の名称は、合併した大森区と蒲田区からそれぞれ一文字ずつとった合成地名だ。まれに“太田区”と表記している文献があるが、これは間違いで、“大田区”が正しい。同区は田園調布のような高級住宅地と、蒲田に代表される町工場の街という、ふたつの顔を持つ。大森貝塚、多摩川台古墳群、池上本門寺五重塔など、史跡も豊かである。

 同区の北西部にある田園調布は、旧大森区に属した街だ。東京というより日本を代表する高級住宅街区である。この街の生みの親は、明治・大正期の財界の重鎮で、「日本資本主義の父」ともいわれる渋沢栄一氏である。
 大正時代に導入されたイギリスで提唱された「田園都市」運動をモデルとして、1918年(大正7年)、渋沢氏が田園都市株式会社を設立し宅地を造成。1923年(大正12年)8月から分譲を開始した住宅地だ。その際、調布村の一部であったこの地に「田園」の2文字を冠して「田園調布」としたのである。
 現在の東急東横線・目蒲線田園調布駅西口の駅前広場を中心に放射路、環状路を設置して、一区画100~500坪(330~1650平方メートル)で上下水道完備という高級住宅地として売り出した。
 現在の大田区田園調布は1丁目~5丁目からなり、広さは約63万坪(約205万平方メートル)である。高級住宅街のイメージで語られる際の「田園調布」とは、東急田園調布駅の西側に広がる扇状の街路付近の大田区田園調布3丁目、4丁目の一部、および世田谷区玉川田園調布の一部を指す。

 一方、大田区のもうひとつの顔となるのが蒲田エリアだ。その名のとおり旧蒲田区の中心地で工業都市の顔を持つ。江戸期に農漁村だったこのエリアには、工業の前段として江戸時代から続く麦わら細工があった。いわゆる中小の工場が進出してくるのは、大正期以降である。
 同区内の工場は、蒲田地区で最も多く、全体の半数を占める。その他、大森地区が4割弱、調布地区が約1割である。住工混在型の小規模工場が立地し、大森南、東糀谷、羽田旭町などは工業専用地域であるため、大規模工場が立地している。
 大田区工業の“得意科目”は、金属および機械関連製造業だ。この業種だけで全事業所の8割近くを占める。ちなみに、東京都全体では43%、23区では40%という占有率を誇る。国内の精密機械、高度家電やAI技術を下支えする日本が誇る工場地帯だ。

 鉄道交通インフラも充実している。蒲田地区ではJR線、京浜急行本線・空港線が縦横に走る。田園調布付近は東急東横線・目黒線・多摩川線・池上線など。そのほか、地下鉄都営浅草線、東京モノレールなども同区内を走っている。
 区内臨海部には、国内最大級の交通インフラとして東京国際空港(羽田空港)がある。羽田地区は大田区の「未来核」として位置付けられており、空港沖合展開により大田区に返還される旧空港土地利用について検討が行なわれている。

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