東京都目黒区のマンションの解説

自由が丘、柿の木坂、碑文谷など、お洒落でシックな魅力が漂う街
 目黒区は1932年(昭和7年)、東京府荏原郡目黒町と同碑衾町が合併して東京市に編入されて誕生した。面積は14.67平方キロメートルで、23区全体の2.4%に当たり23区中16番目の広さだ。目黒区は、武蔵野台地の東南部に位置し、北は渋谷、東は品川、西は世田谷、南は大田の各区に接する。区内は目黒川と呑川の谷が北西から南東に向かい、20~30mの深さの谷を形成している。

東京都・目黒区のマンション
 2016年、東京都・目黒区で販売された新築マンションは498戸。同区で昨年販売した新築マンション相場価格は7490万円~9148万円だった。同区内の中古マンション相場価格は3134万円~1億4166万円。目黒区は、中目黒、自由が丘など「住みたい街ランキング」で上位の街を数多く抱える。
 目黒区の2017年9月現在の人口は、27万6264人、うち外国人は8216人。総世帯数は15万4446世帯だ。人口は1995年の24.3万人まで減少し底を打った。現在、漸増傾向に転じ、昨年比で3000名ほど増加した。

女性住民比率が高くアラサー、アラフォー女性がトレンドを牽引
 目黒区を概観して特徴的なのは、30歳代から40歳前半の女性が住む比率が、東京都で最も高いエリアだということ。そこには目黒区に“憧れる”女性が多いから…か。そのシンボルは自由が丘、単にお洒落なだけでなく、シックな魅力が漂う街だ。これを支えているのは、柿の木坂、碑文谷、八雲など、背後に控える高級住宅地である。

 30歳代から40歳前半の女性というと一般的に結婚から子育て世代だ。が、目黒区のこの世代の女性は事情がやや違うようだ。ダイヤモンド社の「データで分かる23区の実力」によると、30歳代女性の未婚率は23区中6位。40歳代前半では3位に跳ね上がる。その数23.8%、全国平均12.1%の2倍近い数字だ。目黒区に住む女性は“結婚や出産にこだわらない”のかも知れない。
 実際目黒区では、正社員として働く専門技術職、管理職、事務職の女性が23区で4位と高く、キャリアウーマンが多いのだ。典型的なアラサー、アラフォー女性が目黒区のトレンドを牽引しているというわけだ。

 同区は、女性だけでなく、子育て世代のファミリーにとっても魅力的な環境が整う。各住区には小学校の数を上回る数の区立学童保育クラブが設けられ、月額8000円で利用できる。学童保育クラブでは放課後に帰宅せずに、ランドセル姿のまま児童館を利用できる「ランドセル来館」制度を設けるなどして、利用者への対応を図っている。

鉄道駅は23区でもっとも少ないが、定住指向が高い目黒区住民
 目黒区は冒頭で述べたように1932年、東京府荏原郡目黒町と同碑衾町が合併して東京市に編入されて誕生した。

 意外だが、東急電鉄が縦横に同区内を走っているのに、目黒区は鉄道の駅が23区でいちばん少ない。東急線は中目黒、祐天寺、学芸大学、都立大学、自由が丘、緑が丘、洗足、池尻大橋。井の頭線の駒場東大で合計9駅。さらに、JR目黒駅は品川区上大崎2丁目にあることはご存じだろうか。

 そこを走る山手線は、重要な輸出品であった生糸を高崎から横浜港まで輸送するために、1885年(明治18年)、品川から赤羽間に品川線が敷設されたことが起源だ。開設した駅は、品川駅・目黒駅・渋谷駅・新宿駅・目白駅・板橋駅と6駅であった。1903年(明治36年)、田端から池袋間に豊島線が開通し、品川線と併せて、山手(やまのて)線と呼ばれることになった。戦後、占領軍がローマ字表示として「ヤマテ=ループ=ライン」と誤記したため、以来「やまてせん」と呼ばれていたが、1971年(昭和46年)、「やまのてせん」の呼称が戻った。

 目黒区が毎年実施している世論調査によれば、目黒区への定住意向についての質問に対し「定住したい」と答えた住民は95.2%(2014年度実施「第44回目黒区世論調査」)。2000年以降は、連続して90%を超えているという。住み心地がよく、行政の取り組みに対する満足度も高いといえそうだ。

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