千葉県千葉市稲毛区のマンションの解説

区内全域が埋め立てによる造成地で、計画的に建設した国際街区
 千葉市稲毛区は、同市の北東に位置し、区内のほとんどが住宅地で一戸建て、マンションを問わず住宅が密集したエリアだ。
 稲毛区の人口密度は高く、千葉市平均の2倍以上。同じ千葉市の中央区、若葉区、美浜区、花見川区と千葉県四街道市の一部と接している。戦後、稲毛駅、西千葉駅を中心に発展した地域である。

千葉県・千葉市稲毛区のマンション
 2016年、千葉県・千葉市稲毛区で販売された新築マンションは無い。同区で昨年販売した中古マンション相場価格は805万円〜4193万円だった。2017年8月現在、稲毛区の人口は、16万1290人。総世帯数は7万2864世帯。同区の面積は21.25平方キロメートルだ。

 旧くから千葉市稲毛区は東京からのアクセスの良さもあって、稲毛海岸は東京方面の人々の保養地として人気を集めた。明治から昭和にかけて松林を中心に多くの別荘・別邸が建てられた。当時の保養地・避暑地としての隆盛ぶりは、松井天山作・鳥瞰図「千葉県稲毛海水浴場鳥瞰」などから思い描くことが出来るという。

かつて文人に愛された保養地として発展
 1888年(明治21年)、稲毛に千葉県初の海水浴場が開かれ、稲毛浅間神社周辺の松林の中に「稲毛海気療養所」が設立された。施設には海水温浴場、海水冷浴場、海水灌漑場、遊戯場、運動場などで構成され、救急医療に備え医師が1名常駐した。当時海水浴は、諸疾病に対する治療法として提唱され、それに応じた施設だったのだ。作家の林芙美子が1934年(昭和9年)に発表した小説『追憶』に登場する。

 その「稲毛海気療養所」はその後、別荘風旅館「海気館」として、宴会や行楽などにも使われる施設となる。海気館には、島崎藤村、徳田秋声、森鴎外といった文人たちが滞在したという。また田山花袋の『弟』、里見の『おせっかい』、中戸川吉二の『北村十吉』など多くの文学作品にその名前が登場している。

別荘地、保養地として発展した稲毛海岸
 1921年(大正10年)には総武鉄道に加え京成電鉄が開通し、東京から海水浴や潮干狩りに来る客が一気に増加、稲毛海岸は一大保養地となった。

 「千葉市民ギャラリーいなげ」には、国の登録文化財に指定されている、当時としては画期的な鉄筋コンクリート造りの洋館「旧・神谷伝兵衛稲毛別荘」が残されている。別荘の主である神谷伝兵衛氏は、江戸末期に現在の愛知県幡豆郡一色町に生まれ、わずか8歳で酒造家を志した人物。17歳で酒づくりを学ぶため横浜にやってきたといわれる。そこで葡萄酒のすばらしさを知り、東京に出た伝兵衛は、浅草で日本初の洋酒バーを開店し成功した。それが、現在も営業を続ける電気ブランで有名な「神谷バー」である。

 明治時代から昭和の初めにかけて、稲毛地区は軍郷となる。同エリアには陸軍歩兵学校をはじめ、千葉陸軍戦車学校(現稲毛区役所、京葉工業高校付近)や千葉陸軍防空学校(現小中台公民館や千葉女子高校付近)などの陸軍の学校や施設が集中し、山王、長沼原の一帯は陸軍下志津演習場の一部だった。

かつての日本軍施設が戦後、教育施設に生まれ変わり一大文教地区に
 戦後、陸軍施設は大きく姿を変える。陸軍の学校や施設が集中していた穴川町、小中台町、轟町、作草部町の軍用地や軍施設跡地に、戦災を受けたいくつもの学校が復興移転し、千葉市における文教地区へ変貌を遂げることになった。現在、区内に国立千葉大学、敬愛大学、千葉経済大学の3大学をはじめ、高等学校7校、市教育センターなどの教育機関、また、国産ロケットの基礎研究に携わった東京大学生産技術研究所、放射線医療に関する国内唯一の研究機関である放射線医学総合研究所など、科学の最先端を担う研究機関が立地。「文教の街」が稲毛区の大きな特徴となっている。
 現在でも稲毛区は、区内にある3大学(千葉大学、敬愛大学、千葉経済大学)と連携して、学生・若者と共に挑む「まちづくり」を進めているという。

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