埼玉県志木市のマンションの解説

6番目に小さな日本の市制自治体、人口密度が高い先進的な文教都市
 志木市は埼玉県南西部に位置し、総面積9.05平方キロメートルの自治体。その面積は、日本国内の市制施行の自治体市のなかで小さな方から6番目となっている。東は荒川を隔て、さいたま市に、西南は朝霞市・新座市ならびに三芳町に、北は富士見市に接する。地形は、西南部は標高20メートル程度の平坦な台地だ。

埼玉県・志木市のマンション
 2016年、埼玉県志木市で販売された新築マンションは43戸。価格相場は不明。同市内の中古マンション相場価格は1630万円~3155万円だった。
 埼玉県志木市の2017年2月の総人口は7万5865人、世帯数は3万3950世帯だ。
 冒頭で記したように面積が小さな自治体のため、人口だけみると近隣自治体に比べ少なめだ。が、人口密度は非常に高く、東武東上線「志木駅」周辺は近隣自治体も含め、このエリアの中心的な商業地として発展している。
 なかでも、志木駅改札口から東口に続く複合型駅ビル「エキア志木」には複数の飲食店や専門店のテナントが入居、志木駅南口の新座市域の商業施設と併せて繁華街を形成している。

 同市の公式HPによれば、「市の中心を流れる新河岸川と柳瀬川、そして、東を流れる荒川と、3本の川が志木のシンボルとなっている。なかでも新河岸川の舟運で栄えた商業都市として発展した、水と緑、人と自然が調和した都市」だという。

都心から25km圏、都心まで20分の好立地、1960年代に急成長
 1889年(明治22年)の町村制の施行とともに「志木町」が生まれ、1914年(大正3年)、東武東上線の開通と同時に「志木駅」が開業、交通、経済の要衝として発達した。1944年(昭和19年)、当時の入間郡宗岡村、水谷村の両村と北足立郡内間木村とが志木町と合併し「志紀町」となった。が、1948年(昭和23年)に分離解消され、1955年(昭和30年)に新たに志木町と宗岡村が合併して「足立町」と町名を改めた。その後、1958年(昭和33年)に朝霞市の一部を編入し、1970年(昭和45年)10月26日、地方自治法の改正により単独市制を施行し「志木市」となった。

 昭和後期、簗瀬川河畔に志木ニュータウンが造成、東武東上線「柳瀬川駅」が開業、首都近郊25km圏で、都心まで20分という好条件から、分譲マンションの建設が相次ぎ、人口が急増。住宅都市として発展した。自然や田園風景も残されている。

先進的な市の教育体制により文教都市として評価も高い
 同市は2002年(平成14年)に全国に先駆けて「小学校低学年の少人数学級制」を独自に採用した。また、新成人自ら毎年企画・運営して成人式を開催するなど、進んだ教育施策をとっているのも同市の特徴である。こうした市独自の教育への取り組みは、全国の自治体を対象に2004年に内閣府経済社会総合研究所が実施した、「生活者の視点による地域活力・活性化に関するアンケート調査」において、当市が「目標とする自治体」全国第4位となっている。

 2001年、志木市のほか朝霞市・和光市・新座市の4市で法定合併協議会を設置し、新市役所を朝霞市に置くこと、2005年3月までに合併することなどが決定し、人口45万人の中核市を目指すとしていた。しかし、4市の住民投票で和光市が反対多数(他3市は賛成多数)となり協議会は解散した。和光市が反対した理由については、朝霞市のコラムを参照ください。

 なお、志木市には観光資源と呼べるものは多くはないが、河童伝説・伝承が残された街とされ、市内のいたる所に河童像が点在している。また、柳瀬川沿いの桜並木は東武東上線沿線における著名な桜(そめいよしの)の名所だ。そのほか、世界に1本しかない桜と注目される「長勝院旗桜」(ちょうしょういんはたざくら)、国の登録有形文化財で明治20年に創業した薬局である「朝日屋原薬局」の建築物が残る。現在も薬局の店舗として使用されている。


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