埼玉県朝霞市のマンションの解説

ユニークな市名、中核市を目指した合併構想頓挫も米軍基地跡再開発で活性化
 埼玉県朝霞市は同県南部に位置し江戸時代、膝折地区が川越街道の宿場「膝折宿」として栄えたとされる。東京都心から20km圏にありながら武蔵野の面影が残る緑の多い住宅都市として発展した。

埼玉県朝霞市のマンション
 2016年、埼玉県朝霞市で販売された新築マンションは18戸。同市で昨年販売した新築マンションの相場価格は3336万円~4597万円で、同市内の中古マンション相場価格は1461万円~4087万円だった。

 2017年10月現在、埼玉県朝霞市の人口は、朝霞市の発表によると13万8234人。総世帯数、6万3843世帯だ。埼玉県で17番目の人口を擁する自治体だ。
 朝霞市の一般世帯のうち、核家族世帯が56.0%、単独世帯(ひとり暮らし)世帯が37.5%を占め、多世代同居の世帯を含む「その他の親族世帯」は 4.8%に過ぎない。近年特徴的なのは単独世帯の割合が高まっていること。また、高齢単身世帯や高齢夫婦世帯の増加も著しく、2000年からの10年間で、高齢夫婦世帯は約1.8倍に、高齢単身世帯は約2倍に増加している。

市の名称は世田谷区から移転してきたゴルフ場の名誉会長に由来
 市の「朝霞」という名称は、1930年(昭和5年)、東京府世田谷駒沢(駒沢オリンピック公園)にあった「東京ゴルフ倶楽部」のゴルフ場が膝折村に移転することとなり、それをきっかけに当時、東京ゴルフ倶楽部の名誉会長であった朝香宮鳩彦王(あさかのみや・やすひこおう)の名からいただいた村名へ改称、「朝霞」とすることとなった。同時に町制を施行しようという機運が高まり、1932年(昭和7年)5月、朝霞町が誕生した。改称にあたって町は、東京ゴルフ倶楽部が発した町名改称許可書を自治体文化財に指定し、大切に保管しているという。

 町名解消の理由は俗説だが、川越街道の膝折宿の地名の由来が、江戸時代「ある武士の馬が、この付近で足を骨折したため」といわれており、縁起が悪いという印象があったためとされている。なお、東武東上線の朝霞駅もかつて「膝折駅」という名称だったが、1932年の町制施行時に改称した。

中核市を目指す合併構想があったものの……
 2001年、朝霞市・志木市・和光市・新座市の4市で法定合併協議会を設置し、新市役所を朝霞市に置くこと、2005年3月までに合併することなどが決定し、人口45万人の中核市を目指すとしていた。しかし、4市の住民投票で和光市が反対多数(他3市は賛成多数)となり協議会は解散した。和光市が反対した理由、これも俗説だが、和光市はホンダならびに本田技術研究所の研究所ほかを擁する企業城下町。その財政力指数は優良で、「合併によるメリットは和光市には無い」と市民が判断したとされている。

 市内には先の大戦まで、日本陸軍関連施設があり、現在の市役所南にあった陸軍被服廠と、川越街道の南側を占めていた陸軍予科士官学校である。それらは戦後、アメリカ軍に接収され、1972年(昭和47年)まで米軍キャンプ・ドレイクとして使われていた。現在その一部は、陸上自衛隊朝霞駐屯地となり、キャンプ・ドレイク跡には、朝か中央公園陸上競技場や朝霞市営球場、朝霞市立図書館、朝霞市立第一中学校、県立朝霞西高校などがある。
 残された樹林の茂る未利用地は、今後緑地として整備するため、暫定的に「朝霞の森」として開設されている。今後は現在の市役所南側に朝霞県税事務所が移転し、図書館と中央公民館の敷地一帯には朝霞市役所を含めた複合公共施設が建設される予定だ。

 市内の鉄道交通網として、JR武蔵野線「北朝霞駅」、それに接続する東武東上線「朝霞台駅」、同「朝霞駅」がある。普通・準急・急行・快速が停車する「朝霞台駅」の乗降客数は、「池袋駅」、「和光駅」に次いで東武東上線3位である。
 なお、JR武蔵野線「北朝霞駅」と「西浦和駅」の間に新駅「東朝霞駅(仮称)」を開設するという動きがあるものの、開設費用の負担割合などで見通しは立っていない。

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