埼玉県草加市のマンションの解説

「草加煎餅」が草加市を全国区に引き上げた街、江戸情緒を残す住宅都市
 埼玉県草加市は、同県東南部に位置し、市域の南部で東京都足立区と接している。水と緑に恵まれた中川、綾瀬川下流域にあり、東西7.24km、南北7.6km、総面積27.46平方キロメートルの住宅都市だ。東京都心から約15km圏にありながら宿場町の面影を残す住宅地である。

埼玉県・草加市のマンション
 2016年、埼玉県・草加市で販売された新築マンションは14戸。同市で昨年販売した新築マンションの相場価格は3530万円〜4158万円、同市内の中古マンション相場価格は1440万円〜3600万円だった。

 2017年10月現在、埼玉県草加市の人口は、草加市の発表によると24万7843人。総世帯数は11万4352世帯だ。

江戸時代、日光道中の整備によって草加宿が誕生
 江戸時代、江戸と奥州各地とをつなぐ街道は、千住から越ヶ谷まで河川に沿って大きく迂回をしていたが、江戸幕府は千住・越ヶ谷間を最短で結ぶために新道を整備した。その中間に近隣の村々からなる新しい宿の設置を命じた。それが草加宿のはじまりだ。また、このとき整備された街道が日光道中。
 一説には1606年(慶長11年)、宿篠葉村(しゅくしのはむら)の大川図書という人物が、刈り束ねた草を土につき固めて街道をつくったのが日光道中や草加宿の始まりといわれている。
 1630年(寛永7年)、江戸幕府の公認を受け正式に伝馬宿と認められた草加宿は、その後参勤交代や日光社参、さらには一般旅人の往来もあって賑わいのある宿場として発展した。

 1689年(元禄2年)の元禄文化華やかな時代に、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で草加宿に歩みを残したのをはじめ、伊能忠敬・渡辺崋山など多くの文人らの通行によって、「街道文化」ともいえる独特な文化を創り出したと伝えられる。

 1955年(昭和30年)、草加町・谷塚町(旧谷塚村)・新田村の町村合併の結果、 新たに草加町が誕生し、その後の編入・分離によって現在の市域がほぼ確定した。

 1958年(昭和33年)11月1日に、人口3万4878人で市制を施行。1962年(昭和37年)、東京オリンピック開幕を控え、東武伊勢崎線への東京メトロ日比谷線の相互乗り入れや、当時マンモス団地といわれた松原団地の造成などで、1963年(昭和38年)に人口が5万人を突破した。1968年(昭和43年)に、同県で8番目の10万都市となった。

1970年代から急速に人口増加し住宅都市として発展
 草加といえば忘れてならないのが「草加煎餅」。全国的に有名な地域ブランド(地域団体商標)で、1932年に組合が発足しているブランド菓子だ。組合は組織的なPRを実施し、1970年代に市域に120店舗を数える店があり、最高の売上を記録したとされる。現在でも旧草加宿を中心に市域で約60店舗がある。手作り感の強い、醤油味がベースの素朴な米菓である。

 東京近郊という立地条件の良さから、1970年代から人口が急速に増加。2003年に地下鉄半蔵門線と田園都市線への相互乗り入れ運転が実現し、都心へのアクセス利便性は、さらに向上した。

 道路網も充実した。従来からの国道4号線に加え、東京外環自動車道と高架下の国道298号開通で、東西の移動が格段に便利になった。

 草加駅東側の中心部には、丸井、イトーヨーカドーをキーテナントとする複合型商業ビルアスコ、西友などの大型店がある。一方、草加宿を中心とした昔ながらの商店街も広がり、江戸の風情を残す。駅の西側には宿場町の面影を残した閑静な住宅街が広がる。
 2000年に彩の国・中核市に指定。2004年、特例市に移行した。草加市では、地球環境をはじめ、少子・高齢化、高度情報化、国際化といった時代の変化をしっかり見据えながら、快適都市の実現を目指し、街づくりを進めている。

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