埼玉県草加市のマンションの解説

■埼玉県草加市のマンション
 2015年、埼玉県所沢市で販売された新築マンションは598戸。同市で昨年販売した新築マンションの相場価格は2730万円〜3670万円で、同市内の中古マンション相場価格は2400万円~2780万円だった。
 2017年2月現在、埼玉県草加市市の人口は、草加市の発表によると24万7008人。総世帯数は11万2886世帯だ。

 埼玉県草加市は、同県東南部に位置し、市域の南部で東京都足立区と接している。水と緑に恵まれた中川、綾瀬川下流域にあり東西7.24km、南北7.6km、総面積27.46平方キロメートルの都市だ。

 江戸時代、江戸と奥州各地とをつなぐ街道は、千住から越ヶ谷まで河川に沿って大きく迂回をしていたが、江戸幕府は千住・越ヶ谷間を最短で結ぶために新道を整備した。その中間に近隣の村々からなる新しい宿の設置を命じた。それが草加宿のはじまりだ。また、このとき整備された街道が日光道中。
 一説には1606年(慶長11年)、宿篠葉村(しゅくしのはむら)の大川図書という人物が、刈り束ねた草を土につき固めて街道をつくったのが日光道中や草加宿の始まりといわれている。
 1630年(寛永7年)、江戸幕府の公認を受け正式に伝馬宿と認められた草加宿は、その後参勤交代や日光社参、さらには一般旅人の往来もあって賑わいのある宿場として発展した。

 1689年(元禄2年)の元禄文化華やかな時代に、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で草加宿に歩みを残したのをはじめ、伊能忠敬・渡辺崋山など多くの文人らの通行によって、「街道文化」ともいえる独特な文化を創り出したと伝えられる。

 1955年(昭和30年)、草加町・谷塚町(旧谷塚村)・新田村の町村合併の結果、 新たに草加町が誕生し、その後の編入・分離によって現在の市域がほぼ確定した。
 1958年(昭和33年)11月1日に、人口3万4878人で市制を施行。1962年(昭和37年)、東京オリンピック開幕を控え、東武伊勢崎線への東京メトロ日比谷線の相互乗り入れや、当時マンモス団地といわれた松原団地の造成などで、1963年(昭和38年)に人口が5万人を突破した。1968年(昭和43年)に、同県で8番目の10万都市となった。
 東京近郊という立地条件の良さから、1970年代から人口が急速に増加。2003年に地下鉄半蔵門線と田園都市線への相互乗り入れ運転が実現し、都心へのアクセス利便性は、さらに向上した。

 道路網も充実した。従来からの国道4号線に加え、東京外環自動車道と高架下の国道298号開通で、東西の移動が格段に便利になった。

 同市中心部は東京都心から15km圏という立地ながら、宿場町の面影を残した住宅地である。2000年に彩の国中核市に指定。2004年、特例市に移行した。草加市では、地球環境をはじめ、少子・高齢化、高度情報化、国際化といった時代の変化をしっかり見据えながら、快適都市の実現を目指し、街づくりを進めている。

草加市のマンションをもっと見る

連載コラム

特集

もっと見る