埼玉県鴻巣市のマンションの解説

かつての中山道の宿場は、昭和・平成の大合併を経て県央の中核都市に
 埼玉県鴻巣市は、埼玉県のほぼ中央に位置し、南西部を秩父山地に源流をもつ荒川が流れ、関東ローム層や荒川沖積層からなる肥沃な土地で、気候にも恵まれ、花きや果樹などの栽培に適する。
 1954年(昭和29年)に、1町5カ村が合併して県内17番目の市として誕生した。
 同市は、江戸時代には中山道の宿場町として栄え、380年余の伝統を誇る「ひな人形の街」として、また近年では「花の街」としても全国にその名が知られる。2005年(平成17年)10月1日に、吹上町、川里町と合併し、新「鴻巣市」が誕生した。現在、首都圏50km圏内にある、東京のベッドタウン、総面積67.44平方キロメートルの県央部中核都市として発展している。

埼玉県・鴻巣市のマンション
 2016年、埼玉県鴻巣市で販売された新築マンションは無かった。同市内の中古マンション相場価格1207万円〜3621万円だった。
 2018年2月現在、埼玉県鴻巣市の人口は、同市の発表によると11万8994人。総世帯数は4万9228世帯だ。

江戸時代、中山道ほかの街道整備により、宿場町として賑わう
 鴻巣は、近世に中山道が整備され、鴻巣宿が賑わいを見せる。時の徳川将軍が鷹狩りをする際の休泊所として建てられた鴻巣御殿は、家康・秀忠・家光3代にわたって使われた。また、中山道の鴻巣宿と熊谷宿間は、4里6町40間(約16.4km)あり、他の宿場に比べて距離が長かったため、中間の吹上村に、幕府非公式の休憩地・中継地として吹上宿(間の宿)ができたとされている。

 中山道のほかにも日光脇往還(日光裏街道)が通り、八王子千人同心の通行があったという。さらに、荒川舟運による物資輸送が盛んになり、多くの人や物資、文化が行き交う御成河岸や糠田河岸が栄える。

昭和・平成の大合併を経て発展をつづける
 冒頭で記したとおり、1954年(昭和29年)7月、鴻巣町・ 箕田村・田間宮村・馬室村・ 笠原村の1町4村が合併、その後9月に常光村が編入して市制を施行し、鴻巣市が誕生した。
 同時に、吹上町は小谷村と合併、翌年9 月に太井村大字北新宿を編入、10月には下忍村と合併した。一方、川里町は、1954年3月に屈巣村・広田村・共和村の3カ村が合併して誕生していた。
 合併や編入で新しく誕生した各市町は、それぞれ住民の融合と各地区の均衡ある発展を図るため、公共施設や生活環境の整備を積極的に推し進めた。

 平成の世を迎え、地方分権型の地域経営確立が求められ、少子高齢化、日常生活圏の拡大、高度・多様化する住民ニーズ、厳しい財政状況への対応などの必要性から、2004年(平成16年)7月、鴻巣市・川里町・吹上町合併協議会が設置された。
 そして2005年(平成17年)10月、1市2町の合併が成立し、人口12万人の新「鴻巣市」として生まれ変わった。新しいまちづくりに際して市は、15年後の平成32年を計画期間とする新市建設計画に基づいて、各エリアの均衡を図りながら各事業を推し進めている。

恵まれた交通ネットワークを活かし、積極的に企業誘致を図る
 鴻巣市は、首都50km圏内に位置し、JR高崎線の鴻巣駅・北鴻巣駅・吹上駅の3駅があり、通勤もアクセス良好であり、また、自動車を利用したアクセスも国道17号線により大宮方面、群馬方面へ、圏央道の桶川ICや桶川加納IC、白岡菖蒲IC、関越自動車道の東松山IC、東北自動車道の羽生ICへも30分以内でアクセスできる好立地にある。
 現在、新大宮バイパスから熊谷バイパスを結ぶ上尾道路も事業が進捗しており、鴻巣市へのアクセスや市内の道路ネットワークがさらにパワーアップする予定だ。
 鴻巣市へのアクセスは、鉄道ならJR高崎線・東京上野ラインを使って、東京駅から56分、上野駅から48分の距離。
 自動車ならば関越自動車道を利用し、東松山ICから30分だ。

 同市では、「企業立地の促進等による地域における産業集積の形成及び活性化に関する法律」(通称:企業立地促進法)に基づく基本計画を県及び周辺市町村と共同で策定し、交通網の充実などの強みを活かした産業振興を図るため、集積を目指す業種や産業集積の目標、目標達成に向けた施策などを定めている。
 この計画に定めた業種の企業が企業立地促進法に基づく「企業立地計画」を策定し、県の承認を受けた場合、新規立地・増設に伴う設備投資について、一定の要件の下で特別償却制度など国の支援策の活用も可能となるため、積極的な企業誘致を実施している。

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